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まだ見ぬ「ご縁」に出会う旅〜一樹の陰、一河の流れも他生の縁〜

投稿者:松本周己(しう@SOTO)
投稿日:2019/11/20
  • 車中泊・くるま旅

「一樹の陰一河の流れも他生の縁」

見知らぬ者同士が木陰に身を寄せ合ったり川の水を汲んだり、そうしたごく小さな出会いであっても、この世で生じる出来事はすべて前世からの因縁、廻り合わせなので、そのご縁を大切にしなさいという意味の諺です。

よく「旅の醍醐味は人との〝出会い〟」と聞きますが、実のところ筆者は人見知りで引っ込み思案。キャンピングカーで生活していてもクルマに引きこもりがちで、登山をしたり史跡を巡ったりすることはあっても、いつも単独行動です。
一人旅なんだから単独行動は当たり前と思われるでしょうが、キャンピングカーは目立つので話しかけられることが多く、またキャンピングカー同士で集まって話が弾んでいる光景をよく見かけます。そうして、気の合った者同士が一緒に行動するというパターンも珍しくなく、それがまた楽しさを倍増させるファクターともなっているようです。
筆者はそういう場が苦手なので、話しかけられても「こんにちは」と必要最低限の会話をするだけで、そそくさと退散してしまいます。

そんなコミュニケーション下手な筆者でも、表題のように「旅は出会い」を実感する出来事が向こうからやってきます。まさに「一樹の陰一河の流れも他生の縁」と言うべきか…。


※この写真は作中の神社ではありません。

キャンピングカーでの旅暮らしにも慣れてきた3年目の秋(2007年)、とある道の駅で観光案内図を見ていたら、近くに歴史ある神社を発見。しかも樹齢千年を超える巨木と、霊験あらたかな湧水まである。筆者の好きなものが3つも揃っているではないですか。これは行かねば!
(あえて神社の名称や所在地は伏せておきます。その方が、ロマンがあるじゃないですか。)

ところが、地図上ではほんの2キロくらいしか離れていないはずなのに一向に見当たらない。Uターンして、気をつけながら走ったのにまた道の駅まで戻ってしまった。国道(と言っても山間部ですが)沿いのはずなのに、なぜ見つからない???
「次に見つからなかったら縁がなかったと思って諦めよう」と三度目の正直で、ようやく鳥居に気がつきました。この日、工事中で道路沿いの駐車場がトラックなどで塞がっていたのです。

見つかったはいいけど、今度は停める場所がない。
またUターンして、お隣の喫茶店へお邪魔し、理由を言って「ここに停めさせてもらえませんか」と交渉すると快諾してくださいました。「あとで珈琲を飲みに来ます」と告げて、水汲み用のポリタンクを抱えて境内へ。

観光用のポスターというのは、大げさなほどベストな状態の写真を起用するものですが、それを軽く凌駕する御神木の迫力に圧倒され、ぽけーっと見惚れていると「やぁやぁ、ようこそいらっしゃいました」と作務衣を着た方に声をかけられました。
その方こそ、この神社の宮司さんでした。
あとで聞いた話では、喫茶店のママさんが「えらい大きなキャンピングカーに乗った美人さんが来られたで! 早ぅ案内したって!」と電話してくれたらしい(美人さんだなんて、そんな〜・笑)。


樹齢千年を超えるといわれる大楠をはじめ、境内は巨木の宝庫!

宮司さんはとても気さくでお話好きで、神社にまつわる伝説や境内の樹木、湧水、動植物に至るまで様々なことを教えてくれました。
キャンピングカーについても興味津々で、「ええなぁ、僕も全国を旅したいなぁ」と目を細め、「あそこの神社の宮司は友だちだから、寄って行くといい」とか「あそこの神社の御神体は巨石なんだよ」とか、旅の話にも花が咲きました。

宮司さんは人柄が本当に朗らかで、周囲の方々からは親しみをこめて「天然宮司」と称されていました。
ある日、夕方の境内にテントを張っている人がいたので声を掛けたら外国人で(どこの国の人かは忘れてしまいました)、世界中を旅しながら菌類の研究をしていると言う。
海外では教会に泊めさせてもらえるけど、日本では神社もお寺もそうはいかない。特にお寺は門が閉まっている。そんな苦労話を聞いて、社務所に泊めたのだそうです。
その時以外にも、参拝者にはなるべく声を掛けて、泊まるところに困っている旅人を泊めたことがあると言っていました。

そして筆者にも「泊まっていって」と勧めてくれたのです。でも、キャンピングカー=家なので、キャンピングカーの方が落ち着くと言ったら「そういうものなの?」と怪訝そう。どうやら遠慮していると思われたようです。
クルマは揺れるし、車内は狭くて手足が伸ばせないというイメージがあるようなので、車内を見てもらったら「これは家だね!」と驚かれました。「これなら、疲れもとれるね」と、宮司さんもひと安心。神社の駐車場に停泊させていただくことになりました。

その日は晩ご飯にも招いていただき、宮司さんのお母様と三人で鍋を囲むという、今にして思えばなんと大胆というか厚かましいというか…。不思議も不思議、それから毎年お邪魔させていただくようになったのです。

「そのクルマだと道が狭くて通れないから」と、宮司さんがマイカーで近隣の見どころを案内してくれたり、お祭りに参加させていただいたり、ご近所さん達ともお酒を酌み交わしたり、まるで親戚付き合いのように交流が続いていきました。


左=北畠神社、右=菊池神社

筆者は熊本県菊池市に籍を置いていますが、生まれ育ったのは熊本市なので菊池市について無知でした。
「菊池と言えば菊池一族」と教えてくれたのも、宮司さんでした。言われてみれば中学生のころ歴史の教科書に載ってた「蒙古襲来絵詞」(菊池氏十代 菊池武房が描かれている)を思い出し、あぁ〜! あの菊池氏? と遠い記憶が呼び起こされたものの、知っているのはそれだけ。
「菊池一族と言えば南北朝時代の忠義の武人」。南北朝時代? 後醍醐天皇って覚えがあるけど正直「ゴダイゴ」とかけて記憶してたくらいで…。と、情けないほどの無知っぷり。

こちらの神社は南朝ゆかりの吉野にも近く、菊池一族と共に南朝方として戦った北畠氏を祀る北畠神社にも近い。さっそく北畠神社へ参拝して、御朱印をいただいてきました。
北畠神社の宮司さんに「どちらからお越しですか?」と訊ねられ「菊池市です」と答えたら、「それはそれは! 遠いところをよくお参りになられました」と感激され、記念品までいただいて「本当に、菊池=南朝方って有名なんだな」とビックリしたものです。

それをきっかけにして南北朝時代の書籍などを読みあさり、今では立派な菊池一族ファン。そのお陰か、全国の南北朝ゆかりの地を訪れる機会も増えましたし、菊池市を「地元」と自負する親近感さえ旅を通して生まれました。

旅は道連れ、世は情け — 人情の大切さを知る


出雲大社にて。神在月の初日、全国から集まった八百万の神々をお迎えする【神迎祭】

時は流れて… 毎年の来訪を心待ちにしてくれていた宮司さんは、4年前に隠世(かくりよ)に旅立たれました。
宮司さんのお母様もその数年前に旅立たれたので、現在は社務所も無人となってしまいました。(宮司職はお子さんが跡を継いでおられ、神事の際にはいらっしゃいます)

その年の秋、神社には誰もいないと知りつつ参拝したら、偶然にも宮司さんの妹さんが掃除に来られていてお互いに驚き「ご縁って不思議やねぇ!」と喜び合い、一緒にご奉仕させていただきました。
また、お隣の喫茶店でいつもの珈琲をいただいていたら「キャンピングカーがあったから、来とると思たわ!」とご近所さんも来店され、心がホッコリと温まり… ご縁が続いていることに感謝しました。
相変わらず積極的に人と関わろうとすることはありませんが、人情の有り難みや大切さは確実に心に蓄積されています。

この原稿を執筆している今現在は、出雲大社にいます。時まさに〝神在月〟。ご縁を求めて全国から大勢の参拝者が訪れ、活気に溢れています。
「ご縁」とは男女の縁ばかりではありません。老若男女、それぞれの思いが行き交い、目には見えない「ご縁」に思いを馳せる、希望に満ちた氣を感じる空間でした。
この世は「ご縁」が廻り廻って、「ご縁」で繋がっているのかも知れないなと、しみじみ物思いに耽るのでした。